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「あんたも、おめでたいさうで」
その住居の端々はしばしにまで行きわたつている潔癖さは、同時に大石正文夫妻の年来の好み、その生活の信条といつた風なものをも漠然と現はしていた。
川沿ひから分れた路は段々になつた切株だらけの乾田に沿つて、次第上りに、両側はゆるやかな山合ひに切れこんでいた。
「うん、もうさつき帰つたよ」
今の家へは、温泉がぬるいというのを承知の上で越してきた。
――彼は医者である。免状もある。開業もした。患者もどうにかつきはじめた。職業的には立派に医者としての条件を具へつゝある。だが、河原町ではそんなことは通用しないのだ。何か別のものが、職業上の条件以上のものがここでは必要だつた。
「おとうちやん、どこへ行くの」
今泉はうつむき気味に、すぐ前に坐つている庄谷の背中を見つめていた。するとその肩に一本の糸屑がくつついているのに気づいた。彼はそつと手を伸してつまみ上げた。庄谷はうしろをふり向いた。その白味の多い小さい目で無意味ににやりとした。そして又元の眠つたやうな無表情にかへつた。
「さあ、どうぞ。ずつとお通り下さい」
だが、時には彼等の間にも、まるで一日中陽に温められて色づいた麦畑からそのまゝ入つて来たやうな男もあるのだつた。肥つて日焼けがして彼は自分から病気を診みてもらひに来たくせに、房一の呉れる薬を不審さうに眺めて、そんな病気のあることを信じないかのやうに頭を傾かしげて、それから大声で(それは麦畑の穂の列を吹き抜けて行く、乾いた快い風のやうな響きを帯びていた)彼の持牛についた虱しらみをとる薬はやはり人間にも同じ効きき目めがあるのかね、と訊いたりするのであつた。
と、さつき目にもとまらぬ速さで腕にさはつたときと同じく、軽くすつと身をひくやうにしたかと思ふと、もう背を向けてそゝくさと葭子張りの便所に入つて行つた。――
「何しろ、わや苦茶だ」
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